追悼ディープインパクト 〜現役編〜
7/30 ディープインパクトが死にました。
月並みではありますが、御冥福をお祈りいたします。
ディープインパクトは競走馬としても種牡馬としても規格外の成績を残し、
日本競馬史上最高のサラブレッドと言っていいでしょう。
そんなディープインパクトに哀悼の意と敬意を表し、その偉大な功績を振り返ります。
このコラムでは、ディープインパクトが現役時代にいかに怪物であったかご紹介します。
このコラムを書くにあたり、主にウィキペディアの記事を参照させていただきました。
非常に面白く、今まで何度も読み返した記事です。
ウィキペディアと侮ることなかれ、競馬が好きな方ならば必読です。
・ディープインパクトの全成績
ディープインパクトの競争成績を下記に示します。
この表のレースと着順を見るだけでも、彼が史上最強馬であることがわかります。
通算14戦12勝。日本では有馬記念の2着があるだけで、他は全勝です。
G1は皐月賞、ダービー、菊花賞、天皇賞・春、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念の7勝。
どんなコースでも、馬場状態でも関係無く勝ちました。
2000m以上のG1で勝っていないのは天皇賞・秋のみで、
凱旋門賞に挑戦せずに出走していれば勝っていたでしょう。
(当時大阪杯はG2、ホープフルステークスはラジオたんぱ杯2歳Sの名称でG3)
上がり3Fは全レース1位。末脚で彼に勝てる馬はいませんでした。
近年のオジュウチョウサンの障害レースでも単勝は1.1倍にはなります。
いかに負けると思われていなかったかがわかると思います。
しかもデビュー戦からずっとです。
現在だとアーモンドアイがディープインパクトに近い存在ですかね?
ディープインパクトの現役時代を重ねて見ている人も多いのではないでしょうか?
ただし、もっと負けると思われてないのがディープインパクトです。
そんなディープインパクトのレースを細かく振り返ってみます。
■鮮烈な印象を残したデビュー戦
まずは伝説の始まりのデビュー戦です。
調教で凄まじい時計を出していて、武豊騎手を含む陣営が皆絶賛していたおかげで
単勝1.1倍でレースを迎えます。
スタートはゆっくり出て後方の位置と取ります。
ディープインパクトは最後までスタートは苦手でした。
しかし直線を向くと一気に加速し、2着コンゴウリキシオーを置き去りにしました。
上がり3Fは驚異の33.1。
東京や京都、中京でまれに33秒前半や32秒台が出ることはありますが
急坂のある阪神で、かつ2000mは内回りで上がり3Fが33.1というのは
新馬戦のスローペース言えど出せるタイムではありません。
当時の競馬ファンの中にはこのレースだけで
ダービーを獲ることを確信していた人もいたとか。
ちなみに2着コンゴウリキシオーはその次のレースから3連勝できさらぎ賞を勝ち、
最終的には重賞を4勝、G1安田記念でも2着と能力が高い馬です。
その馬を置き去りにしています。
■最も派手な差し切り勝ち 〜若駒ステークス〜
競馬専門でないスポーツ番組やバラエティ等で
良く使われる映像が2戦目の若駒ステークスです。
ディープインパクトの凄さを非常にわかりやすく見せたレースです。
大逃げする前の2頭と、直線の時点で10馬身近い差がありましたが、
そこから一気に加速して5馬身差をつけて勝利。
もちろん相手のレベルは高くありませんでしたが、
ここまで他馬が止まって見えるレースを見たことがありません。
■初重賞は着差以上の楽勝 〜弥生賞〜
クラシック1冠目の皐月賞に向けた前哨戦に陣営が選んだのは、同コースの弥生賞でした。
関東への遠征と中山のテクニカルなコースを経験させる意図があったと思います。
ここではまるで調教のような走りで勝利しました。
2着アドマイヤジャパンとの着差はクビ差でしたが、ステッキを使わずに勝ち切りました。
鞍上の武豊騎手はアドマイヤジャパンの横山典弘騎手に「競馬にならんわ」と言ったそうです。
他の馬が一生懸命走っていても、軽く走ったディープインパクトが勝ってしまうということです。
騎手の感覚では着差以上に差があったということでしょう。
■クラシック1冠目 〜皐月賞〜
クラシック1冠目の皐月賞です。
これまでの戦いぶりで、確実に勝つと思われています。
初G1でも単勝1.3倍でレースを迎えます。
スタート直後に落馬寸前までつまづき、最後方からレースをします。
しかし武豊騎手は慌てずに急激に押し上げるようなことはしません。
道中は後ろで力を溜めます。
しかし、3コーナーから一気に加速してポジションを前に取ると
直線を向いた時には外目の5番手あたりにいます。
残り200mで初めてムチを入れると一気に加速して他馬を寄せ付けず勝利。
これまでと同じような完勝です。
G1でしかもクラシック第1戦の皐月賞でやってのけました。
■勝って当たり前の2冠目 〜日本ダービー〜
馬券も馬自体の人気も揺るがないものになりました。
ここでもスタートをゆっくりと出ました。
皐月賞と同様に道中は15番手あたりとかなり後ろを追走します。
しかし3コーナーで一気に進出し、直線では大外の前に壁がないところにいました。
こうなればディープインパクトは加速するだけ。
外目を走りながらも2着に5馬身差をつける圧勝。
無敗のまま軽々と2冠目を手にします。
■厩舎の調整力が発揮された神戸新聞杯
在厩のまま3冠に向けて調整されました。
ただし、栗東ではなく避暑が出来る札幌競馬場で調整されています。
ここではディープインパクトの前向きすぎて、
前の馬をすぐに抜かそうとする気性をコントロールする矯正がなされました。
一歩間違えればディープインパクトが持つ闘志を削ぎかねないですが、
結果的には操縦性が上がり、その後の活躍に繋がったと思います。
3冠目の菊花賞を前に、調整レースとして神戸新聞杯を選択しました。
ここでもポジションは最後方ですが、道中の追走では前よりも抑えるのに苦労していない様子。
2冠を制したレース運びと同じように、3コーナーから押し上げて直線で突き放す競馬で完勝。
調整がうまくいっている様子です。いざ無敗の3冠へ挑戦です。
■無敗の3冠達成 〜菊花賞〜
3冠目は芝3000mの長丁場の菊花賞です。
無敗のまま3冠を達成したのは過去にシンボリルドルフしかいません。
しかし、レースではハプニングが起こります。
芝3000mのコースであるため、1週半をするのですが
1周目の3コーナーで一気に進出しようとしてしまい、猛ダッシュを試みます。
これには名手武豊騎手も抑えるのに苦労し、馬群の中に入れました。
ゴール板がわかっている賢いディープインパクトならではのハプニングです。
しかし、しばらくするともう1周あることがわかったのか落ち着きます。
これも賢いディープインパクトならではのことです。
早め先頭で逃げ切りをはかる完璧な競馬を見せます。
しかし、ディープインパクトはそんな完璧な競馬も、
前述のハプニングもお構い無しにきっちりと差し切り、無敗の3冠を達成しました。
末恐ろしい馬です。
■初めての敗戦 〜有馬記念〜
無敗の3冠を達成したディープインパクトは、年内にもう1レースに挑みます。
それは年末の風物詩である有馬記念でした。
ここでもいつも通りに後方から追走し、3コーナーから進出します。
直線でも加速を見せますが、早め先頭のハーツクライを捉えることが出来ず2着。
ディープインパクトにとって初めての敗戦になりました。
今考えるとこの年は年始の若駒ステークスから数えて7戦目。
疲れていたのだと思います。
しかし、翌年の活躍に胸を膨らませて、3歳シーズンを終えます。
■英気を養っていざ最強馬へ 〜阪神大賞典〜
やはり疲れていたのか、4歳の初戦は3月の阪神大賞典となりました。
さらに3000mとタフさが要求されるシチュエーションです。
単勝1.1倍ではあるものの、有馬記念の敗戦で実力を疑問視する声もあったとか。
全く関係無く、いつものディープインパクトのレース運びで完勝しました。
ラップタイムの上がり3ハロンが37秒台の馬場も関係ありませんでした。
このレースは本当に強かったと思います。
■衝撃のレコード勝ち 〜天皇賞・春〜
天皇賞・春は日本のG1での最長の3200mです。
ここで生涯最高と言われるレースをします。
いつも通りに道中は後方で追走をします。
そして3コーナーで進出するのですが、ここからがいつもと違うところ。
4コーナーを回りきる途中で早くも先頭に立ちます。
いつもより早めの先頭ですが、それも関係ありませんでした。
上がり3F33.5の末脚を使い、後続を全く寄せ付けずに完勝。
勝ちタイム3:13.4は当時の芝3200mの世界レコード。
従来のJRAレコードを1秒更新しました。
この勝利の直後、武豊騎手は「この馬より強い馬がいるのかな?」と発言し
ヨーロッパでのレース参戦の機運が一気に高まりました。
■難しいレースも完勝 〜宝塚記念〜
天皇賞・春の勝利後、陣営は凱旋門賞の出走プランを発表しました。
宝塚記念は6月下旬という開催日であるため梅雨時期で雨が残りやすいです。
さらに2200mという微妙な距離設定もあってか、歴代の名馬がつまずきやすいレースです。
しかし、ディープインパクトは関係なく完勝しました。
一応注釈をつけておくと、いつもは阪神競馬場で開催する宝塚記念ですが、
この年は京都競馬場でした。きっと阪神でも勝っていたと思いますが。
■凱旋門賞での悪夢
現地でもディープインパクトの強さは評判で、他にも有力馬が2頭おり、
その3頭との対戦を嫌がって出走の辞退が相次ぎ、8頭立てとなりました。
いつもは後方で脚を溜めてコーナーから進出していくのが勝ちパターンですが、
少頭数で他馬のスタートが悪かったため、押し出されるように前につけることになりました。
さらに現地の馬に囲まれて自由にポジション運びもままなりません。
こうなるといつものレース運びができず、直線で伸びることができず3位入線となりました。
ディープインパクトの勝利を疑わなかった日本中が落胆していたことを覚えています。
さらに後日、ディープインパクトから禁止薬物の陽性反応が出て失格となりました。
これに関しては調教師に全責任があります。
ウィキペディアの記事もご参照ください。
ディープインパクトは何も悪くありませんが、後味が悪くなりました。
■帰国初戦 〜ジャパンカップ〜
日本に帰国後、年末の有馬記念を持って引退することが発表されました。
まだ4歳でしたが、父サンデーサイレンスが亡くなっていたため
後継種牡馬を望まれていたのだと思います。
そして有馬記念の前にもう1戦挟むことを発表されました。
当初は凱旋門賞から中2週で天皇賞・秋も想定していたそうです。
さすがに帰国後の日程が短いということでジャパンカップにしましたが、
今考えるとジャパンカップでも中7週と、海外帰りとしては短いスパン。
海外帰りが鬼門なのは遠征が増えた近年の傾向から良く分かると思います。
実際に負けるならここと思っていた人も多かったと思います。
はい、いつも通りの強いディープインパクトでした。完勝です。
年末の引退レースの有馬記念に弾みをつける勝利でした。
■完璧な引退レース 〜有馬記念〜
惜しまれながらこの有馬記念で引退します。
前年で負けている有馬記念で不安がないわけではないですが
単勝オッズは1.2倍と相変わらずの人気です。
やはりディープインパクトは強かった。
上がり3F 33.8の末脚で他馬を寄せ付けず完勝し、有終の美を飾りました。
武豊騎手はこの引退レースが最高の走りだと語っていました。
・ディープインパクトのここがすごい
ディープインパクトが強いのは成績だけ見ればわかります。
なぜこんなにも勝てることができたのでしょうか?
前述の通り、上がり3Fは全レーストップです。
末脚が優れていることはわかりますが、それだけではなく
何度も記している通り外側からコーナーで加速していけることが大きな強みです。
そのため直線を向いた時には馬群の中にはおらず、スムーズに抜け出すことができます。
普通の馬はコーナリングが得意じゃないか、同じことができても直線でバテてしまいますが
ディープインパクトはコーナリングも巧みで、足が速くて、持続性もある。
本当に強い馬です。
現役時の振り返りはここまでですが、
その話はエントリーを改めて書きます。